信濃国一之宮とよばれる諏訪大社は、諏訪市の上社本宮、茅野市の上社前宮、下諏訪町
下社秋宮、下社春宮の二社四宮からなり、祭神は建御名方神(たけみなかた)と
八坂刀売神(やさかとめ)を祀り、氏子は諏訪地方の6市町村にわたっています
その歴史は古く、日本書紀に持統天皇が勅使を派遣し国家も安泰と五穀豊穣を祈念したと
記されるように、風の神、水の神として、奈良時代以前には早くも中央に知られていました
また、古代から中世にかけては東国第一の軍神としても有名になり、坂上田村麻呂が東征の
折に東夷平定を祈願したのをはじめ、源頼朝、北条氏一門、武田信玄、徳川家康以下の
歴代将軍らが社領を寄進するなど深く崇敬していました
そして、多くの人々が諸国へ諏訪神の分霊を持ち帰り祀ったことから、諏訪信仰は各地へ
広まり、分社だけでも沖縄県を除く全国46都道府県に5千社以上、摂社・末社を加えると
1万社以上にもなるといわれています
この諏訪大社の数ある神事の中で、最も、勇壮で熱狂的な祭りが御柱祭であり、天下の
大祭として広く全国に知られています。御柱祭は、寅と申の年にあたる7年毎に、諏訪地方
6市町村の20万の人々がこぞって参加、執行する大祭です。歴史も古く、平安時代初期の
古文書に社殿の造営と御柱の曳き建てが行われたと記されています
上社は八ヶ岳の御小屋山社有林から、下社は霧ヶ峰東俣国有林から、直径約1m、
長さ約16m、重さ約12tにもなるモミの巨木を8本ずつ切り出し、上社は約20kmの
御柱街道を、独特の木遣り唄に合わせて人力のみで曳き、各社殿の4隅に建てます
祭りは、4月の「山出し祭」と5月の「里曳き祭」にわかれ、山出し祭では、
急坂を下る「木落し」、川を越える「川越し」などの壮観な見せ場が、また、
里曳き祭では、騎馬行列や長持ち、花笠踊りなどの時代絵巻が繰り広げられ、
2ヶ月にわたって諏訪地方は祭り一色に染まります
天に抜けるような澄んだ声で響きわたる木遣り唄、赤に黄、白木に金色、
風になびく彩り豊かなおんべ、そして晴れやかさと誇りに満ちた諏訪人の顔、顔、顔・・・
心震わす天下の大祭、御柱祭の始まりです。
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